岩国城は、関ヶ原合戦で敗れた毛利家の領地が周防・長門の二カ国に縮小され、毛利家家臣の吉川広家がこの地に封じられた時に築城された城である。安芸国との国境に位置し、関ヶ原合戦後に築城された城としては珍しく山上に築かれたことから、東方からの侵略に備えたものと思われる。
天守は慶長8年(1603)に着工、同13年(1608)に竣工した。しかし、元和元年(1615)の一国一城令により城は取り壊された。現在の天守は昭和36年(1961)に復興されたものであり、江戸時代の天守とは別の位置に建てられた。
日本百名城。毛利家家臣の吉川広家がこの地に封じられた時に築城された城である。安芸国との国境に位置し、関ヶ原合戦後に築城された城としては珍しく山上に築かれたことから東方からの侵略に備えたものと思われる。一国一城令により取り壊された。
(2008/6/15 作成)