久能山城は太平洋脇の断崖上に位置した城で、城からは太平洋越しに伊豆国まで見渡すことができる。
もともと久能山には、推古天皇のころ(592~628年)に建立された久能寺があったが、駿河を攻略した武田信玄がその堅固さに目をつけ、久能寺を移転させ城を築いたのが久能山城である。武田三名城にも数えられる。
武田氏の滅亡後は徳川家康の支配下となり、徳川家康の死後は遺言によりここに葬られ、二代将軍秀忠によって現在の久能山東照宮が創建された。
太平洋脇の断崖上に位置した城。もともと久能山には推古天皇の頃に建立された久能寺があったが、駿河を攻略した武田信玄がその堅固さに目をつけ、久能寺を移転させ城を築いた。徳川家康はここに葬られ久能山東照宮が創建された。
(2008/2/11 作成)