もともと有子山に城があったが、関ヶ原合戦後に廃され山麓に城が築かれたのが出石城である。小出氏、松平家、仙石家が城主となる。仙石家は信濃国上田から転封され、この時に信州蕎麦職人も一緒に出石へ来たのが、出石の蕎麦の始まりと言われる。
山名氏はもとは近隣の此隅山城を本拠としていたが、羽柴秀吉の攻撃を受け落城すると有子山城を築いた。しかし再び秀吉の攻撃を受け落城し、以降有子山城は織田氏の支配下に入る。関ヶ原合戦後には山麓に出石城が築かれ、有子山城は廃城となった。
日本百名城。別名虎臥城。但馬国守護の山名持豊が家臣の太田垣氏に命じて築かせた。円山川沿いの山頂に位置し、麓から総石垣の城を見上げると壮観で、また城からの眺めも絶景である。秋には雲海に城が浮かび上がる景観を見ることができる。
山名四天王の一人である八木氏の本拠地。八木氏は天正8年に織田信長に降伏、別所重棟が城主となり文禄年間に石垣造りの城郭となった。別所氏は重棟の子・吉治が関ヶ原合戦で西軍についたため戦後改易され、城も廃城となった。