室町幕府の有力大名である山名氏は、もとは近隣の此隅山城を本拠としていたが、永禄12年(1569)に織田信長の配下・羽柴秀吉の攻撃を受け落城した。城主である山名祐豊は降伏し、織田氏に臣従した。
祐豊は天正2年(1574)に有子山城を築き、翌3年(1575)には織田家に反旗を翻す。しかし天正8年(1580)に再び羽柴秀吉の攻撃を受け落城し、以降有子山城は織田氏の支配下に入る。
その後、前野長康、小出吉政などが城主となるが、関ヶ原合戦後の慶長9年(1604)に山麓に出石城が築かれ、有子山城は廃城となった。
山名氏はもとは近隣の此隅山城を本拠としていたが、羽柴秀吉の攻撃を受け落城すると有子山城を築いた。しかし再び秀吉の攻撃を受け落城し、以降有子山城は織田氏の支配下に入る。関ヶ原合戦後には山麓に出石城が築かれ、有子山城は廃城となった。
(2008/7/27 作成)