八木城は南北朝時代に築城されたのが始まりと言われ、その後但馬守護・山名氏配下の八木氏の本拠地となった。八木氏は山名四天王の一人として山名氏を支えた。しかし天正8年(1580)に織田信長の配下・豊臣秀吉の侵略を受け、当主の豊信は降伏した。
かわって天正13年(1585)には別所重棟が八木城主となり文禄年間(1592-96)に石垣造りの城郭となった。別所氏は重棟の子・吉治が関ヶ原合戦で西軍についたため戦後改易され、城も廃城となった。
山名四天王の一人である八木氏の本拠地。八木氏は天正8年に織田信長に降伏、別所重棟が城主となり文禄年間に石垣造りの城郭となった。別所氏は重棟の子・吉治が関ヶ原合戦で西軍についたため戦後改易され、城も廃城となった。
(2008/7/27 作成)