天正6年に丹後国を平定した織田信長の部下・細川藤孝が築いた城。関ヶ原合戦では西軍の大軍に囲まれるという難事に直面した。戦後京極高知が宮津城を本拠地とし田辺城は廃城された。高知の死後、その三男の高三が舞鶴に封じられ城を再築した。
天正八年(1580)に細川藤孝が築いた城。細川藤孝は当時は織田信長に属して活躍し、丹後国を与えられ、当地に城を築いて本拠とした。関ヶ原合戦の際には細川氏は東軍に付くが、近隣の西軍に攻められ、細川藤孝は宮津城を焼いて舞鶴の田辺城に退去した。関ヶ原合戦後には京極氏が入り、京極高広によって再建された。