【城の歴史】
もとは曳馬城とい、今川氏家臣の飯尾氏が築いた城である。現在元城町東照宮のある地が該当する。今川義元の敗死後、飯尾氏は今川氏に反旗を翻したが、その間隙を衝いた三河の徳川家康により落城、家康の支配下となった。
家康は遠江攻略と対武田家の拠点として元亀元年(1570)に曳馬城を拡張して浜松城を築いて居城とし、以降天正十四(1586)年に駿府に移転するまで家康の居城となった。元亀三年(1572)には武田信玄の侵攻にあい、浜松城から程近い三方ヶ原まで迎撃に出るが却って返り討ちにあい大敗を喫し、家康は浜松城に逃げ帰った。その直後の自身様子を絵師に描かせた逸話は有名である。
天正18年(1590)年の家康の関東転封に伴い、秀吉配下の堀尾吉晴が城主となった。この時に城は現在見られるような石垣造りに改められ、天守も上がったと考えられる。関ヶ原合戦後は譜代の大名が続き「出世城」の異名をとった。
【城の立地】
浜松城は天竜川右岸の平地、天竜川と浜名湖の中間に位置する西遠江最大の拠点。城下には東海道が通る。
【城の見どころ:普請(土木工事)編】
天正18年(1590)年に堀尾吉晴が入城し築いたと思われる野面積みの無骨な石垣が最大の魅力。
【城の見どころ:作事(建築)編】
その野面積みの石垣に乗る天守が特徴的な城で、天守は1958年に鉄筋コンクリート製で再建されたものである。また2014年には発掘調査結果に基づき天守門が復元されているのも必見。
【主な参考文献等】
現地看板
書籍 中井均・加藤理文編集 『東海の名城を歩く 静岡編』 吉川弘文館 2020/7/20
書籍 加藤理文・中井均編 『静岡の山城ベスト50を歩く』 サンライズ出版 2009/10/24
今川氏の支配下にあったが、今川義元の敗死後は徳川家康の支配下となった。元亀元年に城を拡張し、以降駿府に移転するまで家康の居城となった。野面積みの石垣と天守が特徴的な城で、天守は鉄筋コンクリート製で再建されたものである。
(2008/3/2 作成、 2013/3/24 更新、2022/4/27 更新)