小山城は遠江を支配した今川氏が築いた砦が始まりと言われる。その後、甲斐の武田信玄が今川氏を滅ぼし、遠江まで進出した際に小山城を築いた。元亀元年(1570)に遠江を巡って武田信玄と争っていた徳川家康が小山城を落とすが、翌年武田氏が奪還した。その後武田氏によって改修が加えられ、大熊朝秀が城代に任じられた。
武田信玄の死後、長篠の戦いの敗戦や高天神城の落城など武田氏の勢力は衰え、ついに天正十年(1582)に織田・徳川連合軍による武田討伐が開始されると、武田の城兵らは城を明け渡し甲斐に撤退した。
遠江を支配した今川氏が築いた砦が始まりと言われる。その後、甲斐の武田信玄が今川氏を滅ぼし、遠江まで進出した際に小山城を築いた。元亀元年に徳川家康が小山城を落とすが、翌年武田氏が奪還し、武田氏によって改修が加えられた。武田信玄の死後、武田氏の勢力は衰え、織田・徳川連合軍による武田討伐が開始されると、武田の城兵らは城を明け渡し甲斐に撤退した。
(2013/3/3 作成)