諏訪原城は大井川西岸に位置する城で、天正元年(1573)に武田勝頼によって築かれた。天正三年(1575)に徳川家康が城を落とし、牧野城と改名した。家康の家臣・松平家忠の日記には、城が何度も改修された記録が残る。これは大井川東岸の武田勝頼の勢力に備えたものと思われる。天正十年(1582)には武田氏が滅亡し、諏訪原城は役割を終えた。
現在は建造物は残らないが、複数の丸馬出が残るなど、見どころは多い。丸馬出は武田流築城術に多くみられるが、近年の発掘調査の結果から諏訪原城の丸馬出は徳川家によって設けられたものと思われる。
大井川西岸に位置する城で、天正元年(1573)に武田勝頼によって築かれた。徳川家康が城を落とすと牧野城と改名し、当時の日記には城が何度も改修された記録が残る。これは大井川東岸の武田勝頼の勢力に備えたものと思われる。武田氏が滅亡すると諏訪原城は役割を終えた。現在は建造物は残らないが、巨大な丸馬出が残るなど、見どころは多い。
(2013/3/10 作成)