【城の歴史】
築城時期は不明だが、永正10年(1510)頃には今川氏の重臣・福島氏が城主であった。その後同じく今川氏配下の小笠原氏が城主となり、今川氏が衰退すると徳川氏の支配下に入った。
元亀3年(1572年)には武田信玄が駿河から遠江に侵攻、高天神城を攻撃し城主小笠原氏助は降伏した。武田軍はここを拠点に遠州灘の制海権を取り、家康の籠る浜松城への海からの補給路を分断したと思われる。
のちに徳川家康は高天神城奪還を目指し、天正六年(1578)に足がかりとして横須賀城を築城、天正9年(1581年)に奪還しかえした。
【城の立地】
高天神城は、遠州灘沿いの山地に築かれた山城で、主郭部は崖上にあるなど難攻不落を誇った。また当時は太平洋から高天神城の城下まで海に続く入り江があり、水軍を統括する城でもあった。このような要衝であったことから、徳川家と武田家の戦いの舞台となった。
【城の見どころ:普請(土木工事)編】
城の構造が大きく東峰と西峰に分かれるのが特徴。東峰と西峰はそれぞれ個別に城郭として成り立つ、いわゆる「一城別郭」と呼ばれる構造である。城域はまず東峰から築かれ、後に西峰が築かれた。地形的には東峰の方が険しく、西峰は横堀や土塁、堀切などで防御力を高めている。
【城の見どころ:作事(建築)編】
特になし
【主な参考文献等】
日本城郭協会会報 城郭ニュース No.154 2022/2/1
高天神城は、遠州灘沿いの山地に築かれた山城。主郭部は崖上にあるため難攻不落を誇った。元亀2年には武田信玄が攻撃したが撤退した。その後信玄の子勝頼が天正2年が再度高天神城を攻撃、ついに落城した。天正9年に徳川家康は再奪還した。
(2008/2/15 作成、2022/4/27 更新)