岡豊城は土佐の地頭であり、のちに戦国大名へと成長する長宗我部氏の本拠城である。築城は13~14世紀とみられ、一度16世紀初頭に周辺勢力の連合軍に敗れ落城するものの、永正13年(1516)に時の当主・国親が城を奪還した。
城は香長平野の岡豊山に築かれ、麓には国分川が流れ、自然の濠の役割を果たした。形状は東西に長く、連郭式の縄張りである。
長宗我部氏は岡豊城を拠点に、本山氏、次いで安芸氏、一条氏等を征服し土佐を統一した。さらに隣国の阿波、讃岐、伊予にも出兵し四国を統一するが、間もなく豊臣秀吉に降伏し、土佐一国を安堵された。
長宗我部氏の本拠城。16世紀初頭に周辺勢力の連合軍に敗れ落城するものの、永正13年に時の当主・国親が城を奪還した。城は香長平野の岡豊山に築かれ、麓には国分川が流れ、自然の濠の役割を果たした。形状は東西に長く、連郭式の縄張りである。
(2009/1/2 作成)