若狭国の戦国大名・武田氏の本拠城である。武田氏は越前の朝倉氏によって滅ぼされ、その朝倉氏も織田氏によって滅ぼされる。これにより後瀬山城は織田氏の支配下に入り、若狭を与えられた丹羽長秀が城主となった。
その後、木下勝俊が城主となるが、勝俊は武田氏の子孫であるという説もある。関ヶ原合戦後に京極高次が城主となり、麓に小浜城を築城した。これにより後瀬山城は廃城となった。
若狭国の戦国大名・武田氏の本拠城。武田氏は越前の朝倉氏によって滅ぼされ、朝倉氏も織田氏によって滅ぼされる。この時若狭を与えられた丹羽長秀が城主となった。関ヶ原合戦後に京極高次が城主となり麓に小浜城を築城し後瀬山城は廃城された。
(2007/7/11 作成)