世界遺産、国宝、日本百名城。現在の二条城は、徳川家康が将軍の宿泊所として慶長8年(1603)から築城を開始し、寛永3年(1626)に完成した。二の丸御殿は国宝であり、それ以外にも隅櫓・大手門などの貴重な建造物が現存する。
現在の淀城は徳川二台将軍秀忠の代に、伏見城を廃城するかわりに当地に築かれた城で、寛永2年(1625)に完成した。後に稲葉氏が城主となり幕末を迎えた。それ以前にも淀の別の場所に城は存在していた。この城は秀吉の側室である茶々に与えられたため、茶々は淀殿と呼ばれるようになった。
南北朝時代に南朝方に備えて築かれたのが始まりと言われる。応仁の乱では畠山義就側の城となった。その後畿内を織田信長が治めるようになると、細川藤孝が城主となり城に改修を施した。現在は勝龍寺城公園として整備されている。
伏見城は三度築城された。最初は豊臣秀吉の隠居城だが地震で倒壊した。秀吉は再度伏見城を築城し、この城で没するがこれも関ヶ原合戦の折に焼失。その後徳川家康が再々建し、1625年に廃城となった。現在は模擬天守が2棟建っている。
当時関白に就任した豊臣秀吉が天正15年(1587)に築いた城。秀吉が関白職を養子の秀次に譲ると、聚楽第は秀次のものとなった。しかし秀吉に実子ができると秀次は秀吉から疎まれ、文禄4年(1595)秀次は切腹し、聚楽第は廃城された。現在城跡の遺構は殆ど残っていないが、移築建築と伝わる建物がいくつか残る。