太田川河口のデルタ地帯に築かれた城。別名鯉城と呼ばれる。
毛利輝元が天正17年(1589)から築城を開始し、天正19年に完成した。毛利家は元は山城である吉田郡山城が本拠地であったが、時代の変化に伴い平地に城を移した。
毛利家が関ヶ原合戦に敗北し減封されると、福島正則が入った。正則は武家諸法度が発令されていたにも関わらず、幕府に無断で城を改修し、改易されてしまう。福島家ののちは、浅野長晟が入城し、以降幕末まで浅野氏が藩主であった。
天守等いくつかの建物は明治維新後も残ったが、原爆により失われてしまった。現在の天守は昭和33年に再建されたものである。その他二の丸の櫓群も再建された。
日本百名城。別名鯉城。毛利輝元が天正17年(1589)から築城を開始し、福島正則、次いで浅野長晟が入城した。天守等いくつかの建物は明治維新後も残ったが、原爆により失われてしまった。現在の天守はのちに再建されたものである。
(2008/7/5 作成、2013/11/10 更新)