洲本城 | 日本の城写真集

洲本城 | 日本の城写真集

洲本城

淡路国兵庫県 / 収録写真枚数:78枚

  • 洲本城 大手口
  • 洲本城 馬屋跡
  • 洲本城 東の丸
  • 洲本城 南の丸
  • 洲本城 本丸大手
  • 洲本城 天守
  • 洲本城 本丸搦手
  • 洲本城 山麓部
  • 洲本城 移築御殿(洲本八幡神社)
洲本城の写真撮影スポット紹介

洲本城は永正年間に紀州・熊野水軍の安宅氏が大阪湾を抑えるために築城したのが始まりと言われる。その後、天文年間には阿波の三好氏の三男・冬康が安宅氏の養子となり、三好氏の支配下に入った。
永禄7年(1564)に冬康は兄・長慶に暗殺されると、長子の信康、次子の清康が跡を継いだ。天正9年(1581)には織田信長の命を受けた羽柴秀吉が淡路を討伐し、清康は降伏したが所領を没収された。
翌天正10年に仙石秀久が城主となり、対四国戦の最前線の役割を果たした。同13年に四国攻めが完了すると秀久は讃岐へ転封となり、代わって脇坂安治が城主となった。現在見られる山上の石垣はこの時期に築かれたものである。
安治は関ヶ原合戦では東軍につき徳川政権下でも淡路を領したが、慶長14年(1609)に伊予大洲へ転封となった。かわって播磨姫路の池田氏の領地となり、池田氏は洲本城を廃城とし由良城に拠点を移した。
元和元年(1615)に淡路は阿波の蜂須賀氏の領地となり、以降幕末まで蜂須賀氏が治めた。寛永8年(1631)に由良城は廃され、再び洲本城が使用された。ただし山上は使用されず、山麓部に居館などが建てられた。

永正年間に紀州・熊野水軍の安宅氏が築城したのが始まりと言われる。安宅氏滅亡後は、仙石秀久、脇坂安治、播磨姫路の池田氏、阿波の蜂須賀氏の領地となった。一度廃城となるが寛永8年(1631)に再築され、山麓部に居館などが建てられた。

(2009/2/7 作成、2017/5/20 更新)

洲本城付近の地図

[PR]洲本城が載っている本

続日本100名城公式ガイドブック 公益財団法人 日本城郭協会 監修

続日本100名城めぐりの旅 萩原さちこ著

近畿の名城を歩く 大阪・兵庫・和歌山編 仁木宏、福島克彦編集

ひょうごの城めぐり 本岡勇一著

築城の名手 藤堂高虎 福井健二著

一度はいくべき 行きにくい城 双葉社著

司馬遼太郎と城を歩く 司馬 遼太郎

レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版 來本雅之著

よみがえる日本の城13

おすすめの本一覧へ
Page Top