徳島城は天正13年(1585)に阿波に封じられた蜂須賀家政が築いた城である。蜂須賀家は江戸時代に入っても阿波・淡路両国を領し、幕末まで続いた。
城は助任川・寺島川に挟まれた丘陵とその麓に築かれ、東側は水堀で囲まれていた。丘陵部には天守が建ち、麓には表御殿・裏御殿が建てられていた。天守は本丸ではなく、東二の丸に存在した。
現在、城域は整備され公園となっており、また国の名勝庭園にも指定されている石組庭園が残る。城の傍らを流れていた寺島川は埋め立てられ、JR線の線路となった。
日本百名城。天正13年に阿波に封じられた蜂須賀家政が築いた城。蜂須賀家は江戸時代に入っても阿波・淡路領国を領し、幕末まで続いた。城は助任川・寺島川に挟まれた丘陵とその麓に築かれ、東側は水堀で囲まれいた。
(2009/2/2 作成、2017/5/19 更新)