館山城は戦国時代の安房の大名である里見義頼が天正8年(1580)に築いた城である。義頼は天正15年(1587)に没し、子の義康が継いだ。
里見氏は天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東征伐の際に領国であった上総国を没収され、安房一国のみの支配となった。この頃に義康は館山城を本拠とした。
義康は慶長8年(1603)に若くして死去し、子の忠義が跡を継いだ。しかし忠義は大久保長安事件に連座し減封の上転封され、転封先で死去した。里見八犬伝は、この時殉死した家臣をモデルとして作られたと言われる。
安房の戦国大名・里見義頼が天正8年に築いた城で、のちに里見氏の本拠城となった。里見氏は忠義の代の時に大久保長安事件に連座し減封の上転封された。忠義は転封先で死去し、里見八犬伝はこの時殉死した家臣をモデルとして作られたと言われる。
(2009/3/11 作成)