備中松山城 三の平櫓東土塀 | 日本の城写真集

備中松山城 三の平櫓東土塀 | 日本の城写真集

  • 備中松山城 三の平櫓東土塀 二の平櫓跡のようす。この櫓からは大手門手前の大手道を見下ろすことができる。大手門を守る重要な拠点であった。
  • 備中松山城 三の平櫓東土塀 二の平櫓跡。櫓のあった場所に石が敷かれている。また櫓には土塀が接続していた。
  • 備中松山城 三の平櫓東土塀 現存する土塀。天守の建てられた1683年にこの土塀も建てられたと言われる。山城で土塀が残っているのは大変珍しく、重要文化財に指定されている。相当な厚さがあり、塀に銃撃されても貫通はしないと思われる。
  • 備中松山城 三の平櫓東土塀 左手前部分が現存する土塀。天守の建てられた1683年にこの土塀も建てられたと言われる。山城で土塀が残っているのは大変珍しく、重要文化財に指定されている。塀には丸い鉄砲狭間と長方形の矢狭間があるが、鉄砲狭間の方が多い。奥の土塀が切れた所には三の平櫓が、右の石垣上には足軽番所があった。
  • 備中松山城 三の平櫓東土塀 土塀。奥の石垣上に三の平櫓があった。
  • 備中松山城 三の平櫓東土塀 三の平櫓跡付近から振り返る。右側に土塀が続く
備中松山城写真撮影スポット紹介

左手前部分が現存する土塀。天守の建てられた1683年にこの土塀も建てられたと言われる。山城で土塀が残っているのは大変珍しく、重要文化財に指定されている。

写真

二の平櫓跡のようす。この櫓からは大手門手前の大手道を見下ろすことができる。大手門を守る重要な拠点であった。

二の平櫓跡のようす。この櫓からは大手門手前の大手道を見下ろすことができる。大手門を守る重要な拠点であった。

二の平櫓跡。櫓のあった場所に石が敷かれている。また櫓には土塀が接続していた。

二の平櫓跡。櫓のあった場所に石が敷かれている。また櫓には土塀が接続していた。

現存する土塀。天守の建てられた1683年にこの土塀も建てられたと言われる。山城で土塀が残っているのは大変珍しく、重要文化財に指定されている。相当な厚さがあり、塀に銃撃されても貫通はしないと思われる。

現存する土塀。天守の建てられた1683年にこの土塀も建てられたと言われる。山城で土塀が残っているのは大変珍しく、重要文化財に指定されている。相当な厚さがあり、塀に銃撃されても貫通はしないと思われる。

左手前部分が現存する土塀。天守の建てられた1683年にこの土塀も建てられたと言われる。山城で土塀が残っているのは大変珍しく、重要文化財に指定されている。塀には丸い鉄砲狭間と長方形の矢狭間があるが、鉄砲狭間の方が多い。奥の土塀が切れた所には三の平櫓が、右の石垣上には足軽番所があった。

左手前部分が現存する土塀。天守の建てられた1683年にこの土塀も建てられたと言われる。山城で土塀が残っているのは大変珍しく、重要文化財に指定されている。塀には丸い鉄砲狭間と長方形の矢狭間があるが、鉄砲狭間の方が多い。奥の土塀が切れた所には三の平櫓が、右の石垣上には足軽番所があった。

土塀。奥の石垣上に三の平櫓があった。

土塀。奥の石垣上に三の平櫓があった。

三の平櫓跡付近から振り返る。右側に土塀が続く

三の平櫓跡付近から振り返る。右側に土塀が続く

[PR]備中松山城が載っている本

日本100名城公式ガイドブック

47都道府県別 よみがえる日本の城 香川元太郎著

ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城 香川元太郎(イラスト)

図説 正保城絵図 千田嘉博

今日から歩ける!超入門 山城へGO! 萩原さちこ

司馬遼太郎と城を歩く 司馬 遼太郎

レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版 來本雅之著

カラー図解 城の攻め方・つくり方 中井均監修・かみゆ歴史編集部編著

日本の山城100名城 かみゆ著

日本100名城めぐりの旅 萩原さちこ著

わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34 萩原さちこ著

よみがえる日本の城5

おすすめの本一覧へ
Page Top