元和八年(1622)に完成した城で、水野勝成が築いた。
関ヶ原合戦後に当地には福島正則が封じられていたが、やがて改易され、代わりにその領地の一部を勝成が領し新たに居城としてこの城を築いた。
勝成は徳川家康の従兄弟に当たり、戦国時代には徳川家を離れ各大名の元を傭兵のような形で転々とし、各地の合戦で戦功を挙げた猛将であったと言われる。その勝成の武勇を買って、幕府は西国大名の目付けとして福山に封じたのである。
日本百名城。元和八年(1622)に完成した城で、水野勝成が築いた。幕府は勝成の武勇を買い、西国大名の目付けとして福山に封じた。天守は明治維新後も残っていたが太平洋戦争の空襲により焼失。現在の天守は昭和41年に再建されたもの。
(2008/7/10 作成)