室町時代、比内地方は浅利氏が治めており、大館城は浅利勝頼により天正19年(1550)に築城されたと伝わる。当地は南部氏、秋田氏、津軽氏らの勢力争いの争点となり、慶長三年(1598)には秋田氏が浅利氏を滅ぼした。
関ヶ原合戦の後、秋田氏は常陸に転封され、かわって佐竹氏が入部し久保田藩を立藩した。その際、大館城には佐竹家家臣の小場義成が城代として入った。後年、小場氏は藩主から佐竹の姓を賜った。
幕末の慶応四年(1868)の戊辰戦争の際には久保田藩は新政府側についたが、奥州は他の殆どの大名が旧幕府側であり、大館城は南部家の攻撃を受け、その際に焼失した。現在城跡は本丸が公園として残っている。
室町時代、比内地方は浅利氏が治めており、大館城は浅利勝頼により天正19年(1550)に築城されたと伝わる。当地は南部氏、秋田氏、津軽氏らの勢力争いの争点となり、慶長三年(1598)には秋田氏が浅利氏を滅ぼした。関ヶ原合戦の後、秋田氏は常陸に転封され、かわって佐竹氏が入部し久保田藩を立藩した。戊辰戦争の際には南部家の攻撃を受け焼失した。
(2012/8/25 作成)