長谷堂城 | 日本の城写真集

長谷堂城 | 日本の城写真集

長谷堂城

出羽国(羽前)山形県 / 収録写真枚数:35枚

長谷堂城は山形城の西南7kmにある城で、山形盆地の縁にある山形城の支城の一つである。山形城は最上家の本拠であり、長谷堂城は山形城の支城としての役割と果たした。城は独立丘陵に築かれ、南側は本沢川が流れ、それ以外の三方は水濠で囲われていた。
関ヶ原合戦の際には、直江兼続率いる西軍・上杉軍二万の軍勢が畑谷城を落城させ、そのままの勢いで長谷堂城を攻撃するが、東軍・最上家家臣の志村光安・鮭延秀綱が城兵千名を率いて籠城し、約半月の間城を守りきった。上杉軍は関ヶ原合戦で西軍が敗北したとの報を受けると、城攻めを止め撤退を開始する。そこを最上軍と援軍である伊達軍は猛追し、激戦が繰り広げられた。この一連の戦いは「長谷堂城の戦い」と呼ばれる。
戦後、城主の志村光安は戦功を評されて酒田・亀ヶ崎城主となり、かわって成沢城から坂光秀が入った。元和二年(1616)に光秀が死去すると子の光重が継ぐが、元和八年(1622)に最上家は改易となり、この時長谷堂城は廃城となった。
激戦が繰り広げられた長谷堂城も、現在は城跡公園として整備され、花なども植えられて散策に訪れる人も多い。

山形城の西南7kmにある城で、山形城の支城の一つ。関ヶ原合戦の際には、直江兼続率いる西軍・上杉軍二万の軍勢が長谷堂城を攻撃するが、東軍・最上家家臣の志村光安・鮭延秀綱が城兵千名を率いて籠城し、約半月の間城を守りきった。激戦が繰り広げられた長谷堂城も、現在は城跡公園として整備され、散策に訪れる人も多い。

(2012/11/6 作成)

長谷堂城付近の地図

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