庄内藩主の酒井忠勝が三男・忠恒に松山を与えて治めさせたのが松山藩のはじまりである。この時知行は2万石で、当地に陣屋を構えた。
やがて安永八年(1779)に5千石の加増を受け、築城の許可も下り松山城を築いた。明治維新により廃城されたが、寛政四年(1792)に建てられた大手門は残り、現在に至る。
庄内藩主の酒井忠勝が三男・忠恒に松山を与えて治めさせたのが松山藩のはじまり。知行は2万石で陣屋を構えた。やがて安永八年に5千石の加増を受け、築城の許可も下り松山城を築いた。明治維新により廃城されたが、大手門は残り現在に至る。
(2008/7/16 作成)