城生城は神通川沿いの崖上に位置する城である。神通川沿いにある事から、飛騨から越中へ至る要衝を抑える城であった。城が築かれたのは14世紀半ばの南北朝時代であったと伝わる。
代々城主を務めたのは斎藤家で、当地を支配していた豪族である。飛騨の三木家とも関係が深く縁戚関係を結んでいた。織田信長の勢力が越中に及ぶと帰順するが、その後越後の上杉家に帰順した。天正11年(1583)には佐々成政の攻撃を受け落城した。斎藤家は飛騨へと逃亡し、城生城は佐々成政の家臣・佐々与左衛門が城主となった。佐々成政が豊臣秀吉に敗れると、代わりに支配した前田利家の家臣・青山佐渡守、篠島織部が城主を務めたが、慶長年間に廃城となった。
神通川沿いの崖上に位置する城。神通川沿いにある事から、飛騨から越中へ至る要衝を抑える城であった。代々城主を務めたのは斎藤家で、当地を支配していた豪族である。天正11年(1583)には佐々成政の攻撃を受け落城した。佐々成政が豊臣秀吉に敗れると、代わりに支配した前田利家の家臣が城主を務めたが、慶長年間に廃城となった。
(2012/5/5 作成)