森寺城は往時は湯山城と呼ばれ、能登国との国境に近い阿尾川沿いの山地に築かれた城である。築城は能登国守護であった畠山義統によるもので、越中国進出の足掛かりとするために築いたと言われる。天正4年(1576)頃に越後の上杉謙信が攻略したが、謙信死後の天正7年(1579)に織田信長に属する守山城の神保氏張によって落城した。その後、天正13年(1585)に能登・越中一円が前田利家の領地となると、廃城になったものと思われる。
森寺城は往時は湯山城と呼ばれ、能登国との国境に近い阿尾川沿いの山地に築かれた城である。築城は能登国守護であった畠山義統によるもので、越中国進出の足掛かりとするために築いたと言われる。天正4年(1576)頃に越後の上杉謙信が攻略したが、謙信死後の天正7年(1579)に織田信長に属する守山城の神保氏張によって落城した。
(2012/5/3 作成)