新発田の地は代々新発田氏が支配していた。戦国時代末期に時の当主である新発田重家は越後国主・上杉景勝に対し謀反を起こし、数年に渡って戦うがついに敗死した。これにより新発田は上杉氏の直轄地となった。
間もなく上杉氏は会津へ転封され、かわりに溝口秀勝が越後蒲原郡に封じられ新発田城を拡張した。溝口氏は転封することなく幕末までこの地を治めた。
明治維新により廃城となり、現在は一部は整地され自衛隊の駐屯地となっている。表門が現存し、二の丸隅櫓も本丸内に移築現存する他、天守代用の三階櫓が平成16年に復元された。この三階櫓は、屋根がT字型になっているのが大きな特徴である。
日本百名城。戦国時代末期に新発田を治めていた新発田重家は越後国主・上杉景勝に対し謀反を起こし、数年に渡って戦うがついに敗死した。間もなく上杉氏は会津へ転封され、かわりに溝口秀勝が越後蒲原郡に封じられ新発田城を拡張し幕末に至った。
(2008/7/12 作成、2020/5/24 更新)