平福陣屋は因幡街道沿いの宿場町に築かれた陣屋。背後の山には利神城が控える。利神城は関ヶ原合戦後に当地を治めた池田輝政の甥・由之が築いた城で、三層の天守閣を備えた立派な城であったと言う。しかし、あまりにも立派なので輝政は幕府から睨まれることを恐れたのか由之に破却を命じたと伝わる。現在利神城に建物は無く、壮大石垣が残るが、石垣が崩れるなどの危険があるため城跡に登ることはできない(2012年現在)。
池田由之の後、池田輝興が城主となるが寛永八年(1631)に転出した。その後、寛永17年(1640)から当地は旗本の領地となり、山麓に代官所が置かれた。現在でも代官所陣屋門が残っている。
因幡街道沿いの宿場町に築かれた陣屋。背後の山には利神城が控える。利神城は関ヶ原合戦後に当地を治めた池田輝政の甥・由之が築いた城で、三層の天守閣を備えた立派な城であったと言うが、あまりにも立派なので輝政は幕府から睨まれることを恐れたのか由之に破却を命じたと伝わる。後に当地は旗本の領地となり、代官所が置かれた。現在でも代官所陣屋門が残る。
(2012/12/23 作成)