増島城は山国の飛騨には珍しい平城で、水堀と水堀に沿って築かれた石垣が特徴の城である。築城したのは羽柴秀吉の部下で飛騨を制した金森長近で、長近の養子・可重が増島城主となった。縄張りは秀吉の京都での居城・聚楽第と同じ形であった事が判明している。元和元年(1615)の一国一城令により古川旅館と名を改められた。飛騨が江戸幕府の天領となった後の元禄八年(1695)に破却され、現在は水堀と石垣が残る。
増島城は山国の飛騨には珍しい平城で、水堀と水堀に沿って築かれた石垣が特徴の城である。築城したのは羽柴秀吉の部下で飛騨を制した金森長近で、長近の養子・可重が増島城主となった。縄張りは秀吉の京都での居城・聚楽第と同じ形であった事が判明している。元和元年(1615)の一国一城令により古川旅館と名を改められた。飛騨が江戸幕府の天領となった後の元禄八年(1695)に破却され、現在は水堀と石垣が残る。
(2020/5/10 作成)