人吉盆地を流れる球磨川と胸川の合流地点付近に築かれた城である。
鎌倉時代の建久九年(1198)に相良長頼が入城し、相良氏の居城として球磨地方の支配の拠点となった。やがて戦国時代には相良氏は戦国大名として成長し、そのまま江戸時代も球磨地方を治める大名として幕末まで存続した。
人吉城は元々は山城であったが、現在見られるような石垣造りの城郭は、慶長二年(1597)に着工され、寛永十六年(1639)に完成した。これにより、背後の山に本丸・二の丸・三の丸、麓の平地に総曲輪が配置された。
一部の石垣には、最上部に武者返しと呼ばれる天板が備えられるという特徴がある。
日本百名城。球磨川と胸川の合流地点付近に築かれた城。鎌倉時代に相良長頼が入城し、相良氏の居城として球磨地方の支配の拠点となった。やがて相良氏は戦国大名として成長し、江戸時代も球磨地方を治める大名として幕末まで存続した。
(2008/5/7 作成)