佐敷城は肥後南部海岸沿いにある城で、戦国時代には相良氏が支配した。相良氏が島津氏に降伏すると佐敷城も島津氏の支配下に入ったが、豊臣秀吉による九州征伐により肥後に入った佐々成政、加藤清正の持ち城となった。文禄元年(1592)には文禄の役の間に島津家家臣の梅北国兼に城を落とされるという梅北の乱の舞台になった。
慶長五年(1600)の関ヶ原合戦の際には加藤清正は東軍についたが、西軍側の島津軍の包囲を受けた。元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった。山上に見える石垣群が美しい城。
肥後を支配した加藤清正の支城。山上に見える石垣群が美しい。文禄元年(1592)には文禄の役の間に島津家家臣の梅北国兼に城を落とされるという梅北の乱の舞台になった。元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった。
(2008/5/7 作成)