綾城は、足利尊氏の家臣である細川小四郎義門の子・義門が築いた城である。義門は綾氏を名乗り、以降綾氏が城を支配した。綾氏はやがて日向の戦国大名・伊東氏の支配下に入り、城主も伊東氏の家臣が務めた。江戸時代初期の名刀鍛冶師である田中国広は綾の出身で伊東家の家臣であった。
天正5年(1577)に伊東氏が島津氏との戦いに敗れると、代わって島津氏が支配した。元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった。
現在、城跡には木造で戦国時代初期の城楼建造物が復元されている。
足利尊氏の家臣である細川義門が築いた城である。義門は綾氏を名乗り以降綾氏が城を支配した。綾氏はやがて日向の戦国大名・伊東氏の支配下に入った。伊東氏が島津氏との戦いに敗れると、代わって島津氏が支配したが、一国一城令により廃城となった。
(2008/9/23 作成)