都城城のはじまりは、永和元年(1375)に島津家一族の北郷義久が築城したものである。以降、都城島津氏(北郷氏)の本拠地となった。北郷氏は島津一族として伊東家、大友家との戦いに活躍するが、秀吉による九州征伐の後に転封され、かわって島津家家臣の伊集院忠棟が城主となった。
忠棟は秀吉と懇意であったため、島津家から危険視され、また主家をないがしろにするような行動も取ったため、島津藩初代藩主である島津忠恒に殺害された。忠棟の子・忠真は都城城に籠城し島津家に反旗を翻すが、和睦した後殺害された。これにより都城城は再び北郷氏の居城となった。
秀吉による九州征伐の後に島津家家臣の伊集院忠棟が城主となったが、忠棟は秀吉と懇意であったため島津家から危険視され、島津藩初代藩主である島津忠恒に殺害された。忠棟の子・忠真は都城城に籠城し島津家に反旗を翻すが、和睦した後殺害された。
(2008/9/23 作成)