津城にはかつて安濃津城と呼ばれた城があり、伊勢の豪族・長野氏の家臣である細野氏の居城であった。永禄11年には織田信長が伊勢に侵攻し、安濃津城主であった細野藤敦は信長に従った。信長は長野氏に弟・信包を送り込み長野家を乗っ取り、信包を安濃津城に入れ当地を支配した。
信包は信長の一族として活躍し、信長の死後もしばらくは津城に入っていた。しかし、秀吉の時代に左遷され、代わりに富田一白が入城した。一白は慶長4年(1599)に死去し、子の信高が継いだ。翌年には関ヶ原の戦いが勃発し、信高は東軍についた。津城は西軍の攻撃目標となり、奮戦及ばず降伏し、信高は高野山へ登った。しかし戦後家康はその功を評して信高を城主に復帰させた。
その後津城には藤堂高虎が入り城の改修・拡張を進めた。以降江戸時代を通じて津城は藤堂氏の居城となった。
伊勢の豪族・細野氏の居城であったが、永禄11年には織田信長が伊勢に侵攻し、弟・信包を城主とした。江戸時代に入り津城には藤堂高虎が入り城の改修・拡張を進め、以降江戸時代を通じて津城は藤堂氏の居城となった。
(2009/3/9 作成)