大洲城 | 日本の城写真集

大洲城 | 日本の城写真集

大洲城

伊予国愛媛県 / 収録写真枚数:66枚

大洲城のはじまりは、元弘元年(1331)に伊予国の守護であった宇都宮豊房が築いた地蔵ヶ岳城と言われる。以降、戦国時代まで宇都宮氏の本拠地であった。永禄11年(1568)に宇都宮氏は河野氏によって滅ぼされ、以降大洲の地は河野氏の支配下に入った。
天正13年(1585)に豊臣秀吉が四国を征服すると小早川隆景が、のちに戸田勝隆が大洲を支配した。戸田勝隆の死去後は藤堂高虎が封じられ城の整備を行い、城下町が形成された。藤堂高虎が伊勢・伊賀へ転封されると、脇坂安治、次いで加藤貞泰が入封し、幕末まで加藤氏が藩主を務めた。城は肱川沿いの丘(地蔵ヶ岳)に築かれており、肱川沿いは断崖となり、逆側には城下町が広がる。最高部が本丸となり、二の丸には御殿、三の丸には武家屋敷が配されていた。
天守は珍しい4層であり、下見板張りされ無骨な外観である。また天守内には吹き抜けがある。

日本百名城。伊予国守護・宇都宮豊房が築き、以降宇都宮氏の本拠地であった。その後、河野氏、藤堂高虎、加藤貞泰が入封、幕末まで加藤氏が藩主を務めた。天守は2004年に木造復元されたもので、珍しい4層で下見板張りされ無骨な外観である。

(2009/1/29 作成)

大洲城付近の地図

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