湯築城は伊予国の戦国大名・河野氏の本拠地である。河野氏は1180~1185年の源平合戦で頭角を現した伊予の豪族である。築城したのは14世紀前半の河野通盛と言われ、本拠を風早郡河野郷から湯築城へ移転した。
天正13年(1585)には豊臣秀吉が四国征伐に乗り出し、秀吉に従っていた毛利氏家臣の小早川隆景の侵攻を受けた。当主の河野通直は降伏し、河野氏による伊予国支配は終結、程なくして湯築城は廃城となった。
城は小山を中心とし二重の堀に囲まれている。現在は公園として整備され、武家屋敷が復元されている。
日本百名城。伊予国の戦国大名・河野氏の本拠地で、築城は14世紀前半の河野通盛と言われる。天正13年には豊臣秀吉が四国征伐に乗り出し、当主の河野通直は降伏した。これにより河野氏による伊予国支配は終結、程なくして廃城となった。
(2009/1/17 作成)