大聖寺城は南北朝時代の建武2年(1335)に中先代の乱に登場するのが始まりである。その後、戦国時代には加賀一向一揆の拠点となるが、織田信長の部下・柴田勝家に滅ぼされるとその支配下に入った。城主には簗田広正、のち拝郷家嘉が任じられた。
勝家が賤ヶ岳の戦いで敗れると、溝口秀勝、のちに山口宗永が城主となった。現在見られる姿に城を拡張したのは溝口秀勝と思われる。山口宗永は関ヶ原合戦で西軍についたが、城を東軍・前田利長に攻められ落城、戦後は加賀前田家の支配下に入った。
山麓の居館跡は聚楽第と同じ形の縄張りだった事が判明した。
南北朝時代の建武2年(1335)に中先代の乱に登場するのが始まり。戦国時代には加賀一向一揆の拠点となるが、その後織田信長の支配下に入った。関ヶ原合戦時の城主・山口宗永は西軍についたが、東軍・前田利長に攻められ落城した。
(2009/8/14 作成)