鉄門を見上げる。中の門跡を抜けて天守曲輪に入ると、鉄門に向かう広い階段がある。鉄門は本丸の南側虎口に当たる。
鉄門に近づいて見る。往時の鉄門(江戸時代より前の築城当初に建てられたと考えられる)は明治初年に城内の他の建物と同じく取り壊された。現在の門は平成22年(2010)に着工し同24年に完成した門である。
鉄門を前に振り返って見ると、眼下に甲府城の曲輪があり、遠くには富士山が望める
鉄門を見上げる。門の復元に当たっては、絵図や古文書、古写真などの資料や、発掘調査結果、残存する礎石や石に残る痕跡などの検討が平成20年から行われた。
鉄門に向かう石段。路面や水路、石段などは埋設保存されているという。石段の石を切るための矢穴が見えるが、とても小さいものである。伝統的な工法による矢穴とは異なるように見えるが、どうなのだろうか。
鉄門復元前(2008年)のようす
鉄門復元前(2008年)のようす
鉄門左手のようす。潜戸が見える。また石垣に沿って門が斜めに造られている。
鉄門の右手のようす。門の復元工事に当たっては、木材の加工、土壁塗り、瓦作成などすべて往時の工法が用いられた。その上で耐震性の確保等のために必要な部分はコンクリートや鉄筋が用いられたが、外観上の考慮がなされ違和感が無いよう仕上げられている。
鉄門の右手石垣の中にとりわけ大きな石も見える。
鉄門前の石段を見下ろす。下に広がる曲輪は天守曲輪。そこから右の石段を降りると中の門跡がある。
鉄門の中に入っていく。鉄門は宝永2年(1705、柳沢吉保が藩主となった翌年)に城内の建物・曲輪の名称が変更されて名づけられたもので、それまでは南門と呼ばれていた。享保12年(1727)の甲府大火の際は延焼を免れた。
鉄門内右手のようす。番所が備えられている。
門柱は遺構の礎石の上に建っているとともに、鉄筋コンクリートで基礎が強化されている。
鉄門を城内側から見る
鉄門の城内側から見て左手には櫓門内に入るための階段がある
櫓門の横側から鉄門に入る。何段か階段を降りる形になる。
鉄門内部のようす。鉄門の建設は往時の工法を用いており、釘を使わず木を組み合わせて建てられている
鉄門の格子窓から。中の門跡付近を見下ろす
鉄門内部のようす。鉄門の建設は往時の工法を用いており、釘を使わず木を組み合わせて建てられている
鉄門を横(台所曲輪)から見る
鉄門越しに見る富士山