赤木城は紀伊国の最東かつ山間の地方である北山地方にある城である。当地では鉱山資源に恵まれ、また木材も生産される重要拠点であった。
城の始まりは、天正年間に北山代官であった藤堂高虎と羽田長門守が築いたものと伝わる。一説には、天正十六年(1588)の豊臣秀長による北山討伐後の築城と伝わる。その討伐は北山で発生した太閤検地に反発する一揆を鎮圧するためのもので、政情の安定しない北山を抑えるために築かれたものと思われる。藤堂高虎は天正十三年(1585)の豊臣秀吉による紀州攻めの後から北山の支配を任され、文禄四年(1595)に伊予に転封されるまで当地を治めた。大坂の陣の際にも、大坂の陣で豊臣方に付いた吉野・熊野の修験者に誘われた当地の一揆勢が新宮城を攻撃したものの、徳川方の反撃により鎮圧された歴史がある。
城の縄張りは、主郭を中心に、尾根上に東、西の郭を配置し、北郭で尾根を断っている。また、西郭と東郭に包まれるように存在する南郭は、居館などが設けられていたと思われる。城の中心部には石垣が多用され、また主郭の虎口は二重の枡形虎口で形成され、堅固な守りを誇る。
紀伊国の最東かつ山間の地方である北山地方にある城。一説には、天正十六年(1588)の豊臣秀長による北山討伐後の築城と伝わり、藤堂高虎が当地を治めた。城の縄張りは、主郭を中心に、尾根上に東、西の郭を配置し、北郭で尾根を断っている。城の中心部には石垣が多用され、主郭の虎口は二重の枡形虎口で形成され、堅固な守りを誇る。整備の行き届いた見学しやすい城。
(2013/4/28 作成)