岩櫃城は武田三名城にも数えられる堅固な山城である。
戦国時代には斎藤憲広の支配下にあったが、永禄6年(1563)に武田氏家臣の真田氏の攻撃を受け落城し、武田氏の支配下となった。武田氏滅亡の直前には、真田昌幸が武田勝頼に甲州から岩櫃城に退却するよう進言するが却下され、武田氏は滅亡したというエピソードがある。武田氏滅亡後は真田氏が支配したが、慶長19年(1614)に一国一城令が発令され廃城となった。
武田三名城にも数えられる山城。武田氏滅亡の直前には、真田昌幸が武田勝頼に甲州から岩櫃城に退却するよう進言するが却下され、武田氏は滅亡したというエピソードがある。武田氏滅亡後は真田氏が支配したが、一国一城令により廃城となった。
(2007/11/4 作成、2024/6/1 更新)