金山城は関東七名城に数えられ、文明元年(1469)に岩松家純によって築城されたのが始まりと言われる。その後、岩松氏の家臣であった横瀬氏(のちの由良氏)が城を乗っ取り、代々由良氏の本拠となった。由良氏は、長尾氏(上杉氏)、北条氏などに従い戦国時代を生き抜いた。また由良氏は周辺の桐生・足利・館林などに勢力を伸ばすとともに、上杉氏・北条氏双方と交流があったことから上杉氏と北条氏の同盟(相越同盟)締結を実現させるなど、独立勢力としての存在感を示した。さらに上杉謙信、武田勝頼、佐竹義重らの攻撃を十度以上受けるが、落城することはなかった。しかし、天正18年(1590)に豊臣秀吉が北条氏を攻め滅ぼし、北条氏に従っていた由良氏は常陸牛久に転封され、金山城は廃城となった。
金山城は関東の城には珍しく、石垣を多用する城であった。現在ではその石垣を中心に城が整備されている。また山麓には太田市立史史跡金山城跡ガイダンス施設が建てられ、城をより深く知ることができる。
金山城は関東七名城に数えられ、文明元年(1469)に岩松家純によって築城されたのが始まりと言われる。その後、岩松氏の家臣であった由良氏が城を乗っ取り、代々由良氏の本拠となった。由良氏は、長尾氏、北条氏などに従い戦国時代を生き抜いた。天正18年(1590)に豊臣秀吉が北条氏を攻め滅ぼし、由良氏は常陸に転封され、金山城は廃城となった。
(2007/9/29 作成、2013/1/5 更新)