箕輪城は明応・永正年間(1492-1521)に関東管領山内上杉氏の家臣・長野尚業が築城した。
尚業の孫業政は、山内上杉氏当主の憲政が越後に逃亡した後も忠を尽くし、侵略を試みる武田信玄に対抗し続けた。永禄4年(1561年)に業政が没し、子の業盛が跡を継ぐが、ついに永禄9年(1566)に落城し業盛は自刃した。これにより箕輪城は武田氏の支配下に入った。
武田氏滅亡後は、織田氏、北条氏と領主が代わり、北条氏滅亡後は徳川家康家臣の井伊直政が城主となった。直政は慶長3年(1598)に高崎城に居城を移し、箕輪城は廃城となった。
日本百名城。 山内上杉家家臣の長野業政は侵略を試みる武田信玄に対抗し続けたが子の業盛の代に落城した。のちに徳川家康家臣の井伊直政が城主となったが高崎城に居城を移し廃城となった。深い空堀でいくつもの曲輪が隔てられる構造になっている。
(2007/11/4 作成)