沼田城は天文元年(1532)頃に沼田顕泰によって築かれた。沼田氏は山内上杉家に属していたが、上杉家が越後に逃亡すると北条氏の支配下に入った。後に上杉謙信に属したが、武田氏配下の真田昌幸の謀略により滅亡した。
これにより沼田城は武田氏に属することになるが、武田氏滅亡に伴い北条氏が支配し、さらに天正18年(1590)には北条氏が滅亡し、真田氏が城主となった。
初代城主の真田信之は城の拡張を行い、慶長年間(1591~1614)には五重の天守を建造した。しかし天和元年(1681)に真田氏は改易され、沼田城は廃城となった。
天文元年頃に山内上杉家家臣の沼田顕泰によって築かれた。戦国時代には越後上杉家・甲斐武田家・相模北条家に属するが、北条氏滅亡後は真田氏が支配した。初代城主真田信之は城を拡張し、慶長年間には五重の天守を建造した。
(2007/11/4 作成、2024/5/11 更新)