足助城は足助の街を見下ろす真弓山の山上に築かれた城である。築城したのは西三河の山間部に勢力を張っていた鈴木氏と言われる。
鈴木氏は三河の戦国大名・松平清康の侵攻を受け降伏し、松平氏の傘下に入ったがやがて独立、しかし今度は今川義元に攻撃され降伏した。桶狭間の戦いで義元が戦死すると再度独立するが、徳川家康の侵攻を受け降伏した。
元亀2年(1571)には武田信玄が足助城を落とし、鈴木氏は家康の元に逃げ、武田氏の城代が城主をつとめた。天正元年(1573)には徳川家康が足助城を取り返し、再度鈴木氏を城主とした。天正18年(1590)に家康が関東に転封された際に、鈴木氏も関東に移り、足助城は廃城された。
足助城は足助の街を見下ろす真弓山の山上に築かれた城である。築城したのは西三河の山間部に勢力を張っていた鈴木氏と言われる。鈴木氏は三河の松平氏、駿河の今川氏、甲斐の武田氏から度々侵略されるが、最終的には徳川家康の家臣となった。
(2008/11/4 作成、2013/8/24 更新)