岡崎城は龍城とも呼ばれ、菅生川(現在は乙川)沿いの台地に築かれた城である
15世紀中頃に西郷頼嗣が築いたのが始まりで、のちに徳川家康の祖父・松平清康が西郷氏を倒し入城し、改修を行った。家康は天文11年(1542)にこの城で誕生している。
松平家は以降岡崎城を本拠とするが、今川氏の傘下に入るなど苦難の時期を過ごす。しかし今川義元が桶狭間で戦死すると独立し、三河国を統一した。家康が居城を浜松へ移すと、長男の信康が城主となった。信康自刃後は家康の家臣・石川数正、本多重次が城主を務めた。
家康が関東に転封されると田中吉政が入り、関ヶ原合戦後には本多康重が入封、以降江戸末期まで譜代の大名が城主を務めた。
日本百名城。龍城とも呼ばれ、菅生川(現在は乙川)沿いの台地に築かれた城である。15世紀中頃に西郷頼嗣が築いたのが始まりで、のちに徳川家康の祖父・松平清康が西郷氏を倒し入城し、改修を行った。松平家は以降岡崎城を本拠とした。
(2008/11/4 作成)