吉田城 | 日本の城写真集

吉田城 | 日本の城写真集

吉田城

三河国愛知県 / 収録写真枚数:34枚

  • 吉田城 三の丸・二の丸
  • 吉田城 本丸南御多門
  • 吉田城 本丸
  • 吉田城 鉄櫓
  • 吉田城 川手
  • 吉田城 移築城門(本興寺惣門)
  • 吉田城 移築御殿(本興寺奥書院)
吉田城の写真撮影スポット紹介

【城の歴史】
吉田城はもとは今橋城と呼ばれ、永正2年(1505)に牧野古白が築いた。今橋城をめぐっては、牧野氏と田原の戸田氏、今川氏と松平氏の間で争奪戦が繰り広げられた。
天文15年(1546)に今川氏が城を落として以降は今川氏の支配下に入る。桶狭間の戦いで今川義元が戦死して以降は勢いが衰え、永禄8年(1565)以降は徳川家康が支配した。家康は重臣の酒井忠次を城主とし、東三河の統治を任せた。
天正18年(1590)、豊臣秀吉によって家康が関東に転封されると、池田輝政が城主となり、城と城下町の拡張を行った。この際に現在見られる石垣造りの城となった。関ヶ原合戦後には池田氏は播磨へ転封され、代わりに徳川家譜代の家臣が代々城主を務めた。

【城の立地】
城の背後には豊川が流れ城を守り、そこに朝倉川が合流している。

【城の見どころ:普請(土木工事)編】


【城の見どころ:作事(建築)編】
昭和29年(1954)に建てられた鉄櫓が城の象徴。

【主な参考文献等】
日本城郭協会会報 城郭ニュース No.154 2022/2/1

もとは今橋城と呼ばれ、永正2年(1505)に牧野古白が築いた。城の背後には豊川が流れ、朝倉川が合流している。天文15年(1546)に今川氏が城を落として以降は今川氏の支配下に入るが、永禄8年(1565)以降は徳川家康が支配した。

(2008/11/4 作成、2021/12/19 更新)

吉田城付近の地図

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続日本100名城めぐりの旅 萩原さちこ著

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