金山城は天文六年(1537)に斎藤道三の命を受けた斎藤正義が築いた城で、当時は烏ヶ峰城と呼ばれた。永禄八年(1565)に尾張の織田信長が美濃を制圧すると、部下の森可成が城主に任じられ、金山城は東美濃支配の拠点となった。その後、長可、忠政と森氏が代々城主を務めた。
慶長五年(1600)には森忠政は信濃海津へ転封となり、当地は犬山城主の石川貞清の支配下に入った。貞清は犬山城を拡張するため金山城を解体し建材を流用した。これにより金山城は廃城となった。
天文六年に斎藤道三の命を受けた斎藤正義が築いた城。永禄八年 (1565)に尾張の織田信長が美濃を制圧すると、部下の森可成が城主に任じられ、金山城は東美濃支配の拠点となった。慶長五年に犬山城を拡張するため城が解体された。
(2008/11/12 作成、2018/1/8 更新)