当地は室町時代末期には葛西氏の領地であったが、葛西氏滅亡後は伊達家の支配下に入った。寛永18年(1641)には伊達政宗の十男・宗勝が領し一関藩として独立した。宗勝は寛文11年(1671)の伊達騒動により失脚し、代わって田村家が一関藩藩主となった。以降田村家は幕末まで続いた。城門は毛越寺の表門として移築されている。
当地は室町時代末期には葛西氏の領地であったが、葛西氏滅亡後は伊達家の支配下に入った。寛永18年には伊達政宗の十男・宗勝が領し一関藩として独立した。宗勝は寛文11年の伊達騒動により失脚し、代わって田村家が一関藩藩主となった。
(2010/10/17 作成)