岩谷堂城は、もとは奥州藤原氏(藤原清衡)の居館跡であり、のちに清衡は居館を平泉に移した。奥州藤原氏の滅亡後には当地は葛西家が支配し、葛西家家臣の江刺氏が岩谷堂城城主となった。葛西家は豊臣秀吉の奥州仕置きの際に改易され、代わって伊達氏が支配下。岩谷堂城城主には伊達家家臣の岩城家(岩谷堂伊達家とも呼ばれる)が任じられ、幕末まで続いた。
もとは奥州藤原氏(藤原清衡)の居館跡。のちに清衡は居館を平泉に移した。奥州藤原氏の滅亡後には葛西家が支配したが、豊臣秀吉の奥州仕置きの際に改易された。代わって伊達氏が支配し、岩城家(岩谷堂伊達家)が入り幕末まで続いた。
(2010/10/17 作成)