金山城は相馬家家臣の井戸川将監・藤橋紀伊が永禄年間に築城した城である。その後、相馬家と伊達家の間で攻防が行われ、天正十二年(1584)に落城し伊達家の支配下に入った。政宗は家臣の中島宗求を城主とし、以降幕末まで中島家が城主を務めた。なお、一国一城令後は「金山要害」と呼ばれる。
金山城は相馬家家臣の井戸川将監・藤橋紀伊が永禄年間に築城した城である。その後、相馬家と伊達家の間で攻防が行われ、天正十二年に落城し伊達家の支配下に入った。政宗は家臣の中島宗求を城主とし、以降幕末まで中島家が城主を務めた。
(2010/9/18 作成)