神指城 | 日本の城写真集

神指城 | 日本の城写真集

神指城

陸奥国(岩代)福島県 / 収録写真枚数:9枚

神指城は越後から会津に転封された上杉景勝が慶長五年(1600)三月に築城した城である。当時の景勝の居城は会津若松城であったが、新たな居城として阿賀川沿いの開けた土地に築城を行った。城の鬼門である北東角には高瀬のケヤキと呼ばれる巨木が立ち、現存する。当時は本丸は石垣で、二の丸は土塁で囲う「回」の字型の縄張りであった。
築城当時の上杉家は、豊臣秀吉死後に権力を握ろうとする徳川家康と敵対し、家康は上杉討伐の軍を起こし下野まで進軍した。ここで上杉家の盟友・石田三成が挙兵し、家康は西方へ向かい同年九月に関ヶ原の合戦が行われた。そのため、築城はこの時点で中止された。
関ヶ原の合戦では家康側が勝利し、上杉家は米沢へ減封となり、神指城は破却された。会津には上杉家に代わって蒲生家が封じられ、会津若松城を本拠とした。その後の藩主・加藤氏が会津若松城拡張の際に神指城跡から石垣などの用材を持ち去った。

越後から会津に転封された上杉景勝が慶長五年(1600)三月に築城した城。当時の景勝の居城は会津若松城であったが、新たな居城として阿賀川沿いの地に築城を行った。城の鬼門である北東角には高瀬のケヤキと呼ばれる巨木が立ち、現存する。

(2010/9/4 作成)

神指城付近の地図

Page Top