蒲生氏が享徳二年(1529)頃に築いた城である。島津義弘の初陣の地であり、天文二十三年(1554)の岩剣城攻めの際に初めて島津氏が実戦に鉄砲を用いた記録が残っている。
この戦いで島津氏は岩剣城を攻略すると、島津義弘が城主となったが、山上の城は不便であったため、山麓に居館を設けた。これがのちの平松城の始まりである。江戸時代の元文二年(1737)には、一度断絶していた越前島津家が再興され、平松城は越前島津家の居城として取り立てられた。
蒲生氏が享徳二年(1529)頃に築いた城である。天文二十三年(1554)の岩剣城攻めの際に初めて島津氏が実戦に鉄砲を用いた記録が残っている。この戦いで島津氏は岩剣城を攻略すると、島津義弘が城主となったが、山上の城は不便であったため、山麓に居館を設けた。これがのちの平松城の始まりである。江戸時代のには越前島津家が再興され、平松城は越前島津家の居城として取り立てられた。
(2014/2/15 作成)